A jewel in a dunghill

雑念の地下シェルター

あの日、僕らはハルヒダンスに魅了されていたんだ。

           f:id:vault0401:20170914202940j:image

先日アニサマSOS団の3名が復活しハレ晴レユカイを歌ったというニュースを観た。

ハルヒといえば現在の20代にとってアニメに嵌るキッカケであった作品の一つだろう。

エヴァが社会現象になったように、深夜アニメに馴染みのない世代のアニメに対する偏見を取り除き、こんなにも素晴らしい世界があったのだと気付かされた人も少なくないだろう。

私もその1人だった。放送をリアルタイムで観てはいなかったが、放送の一年後くらいである高校一年生が終わった春休みに観てドップリとアニメ沼から抜け出せなくなっていった。

当時の私はアニメに対していい感情を抱いていなく、ハルヒも本屋などで名前は知っていたが興味は全くなかった。

しかし、読書が好きだった私が春休みの暇をつぶすために行った図書館で原作であるライトノベル涼宮ハルヒの憂鬱」を読んだところで考えは一気に変わった。

「何これ、面白いじゃん」

きっとそんな感想だったと思う。それまでは東野圭吾恩田陸石田衣良といったメジャーどころの小説を読み漁っていた私にとって、ストーリーではなくキャラクターの魅力に特化したラノベはとても新鮮だった。

なんてことのない話を魅力あるキャラクターがするだけでこんなにワクワクするのか、そう思い図書館にあったハルヒを借りアニメ版も1日で観た。

それまでアニメといえばゴールデンタイムにアニメがやっていた有名どころや、日曜夕方にやっている国民的アニメぐらいしか知らなかった私は、絵の綺麗さに驚いた。

特にライブアライブの回は、長門のベースの弾き方に感動したくらいだ。

ハルヒを観終わる頃にはアニメは私にとって興味のないものではなくなっていた。

だが、本当にアニメの内容に魅了されたのだろうか?

当然ハルヒは面白かったしケチをつけるつもりはない。だけど当時の私がハルヒ全話を通して一番記憶に残っているのはEDのハレ晴レユカイだ。

SOS団の面々が踊り、途中静止画のカットを混ぜたところも含めてEDが大好きだった。

聞き馴染みのない2000年以降のアニソンが新鮮だったせいもあるが、いわゆるその話数の終わりとして二次元と三次元を断ち切る役目であるはずのEDが、その役目を果たさずにアニメに没入したまま二次元に取り残されたままのような感覚だった。

 

「ないんだったら自分で作ればいいのよ!」

 

ハルヒSOS団を作るきっかけとなった言葉だ。

ハルヒは宇宙人・未来人・異世界人・とんでもパワーという点を除けば、ごくごく普通な高校にありふれた景色が多い。

だからこそ僕らは自分の学校にもそんな場所があるのではないかという希望を抱いてしまう。

自分自身がキョンになり溜まり場に面倒臭がりながらも毎日通う生活に憧れていた。

だけど巻き込まれることしか望んでいない僕らの側にそんな場所はできなかった、だって自ら動くハルヒみたいな子なんて僕らの学校にいなかったから。