A jewel in a dunghill

雑念の地下シェルター

思春期の少年たちに影響を与えるキャラクターたち

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 「あなたがアニメにはまるきっかけとなった作品はなんですか?」

この質問の答えは年代や好みによっても違うが、ある一定の年齢層からは同じような答えが返ってくるだろう。
涼宮ハルヒの憂鬱」という答えが。

 
涼宮ハルヒは多くのオタクを生み出し数多くの人に影響を与えた、その一つが視聴者のキョン化だろう。
視聴者が考える自分がこうなってみたい理想系こそがキョンだった。特に頑張ってスポーツに打ち込むわけでもなく、ダラダラ部室で駄弁って遊び非日常に巻き込まれていくそんなキョンの立ち位置が僕等には羨ましかった。

だから当時の僕等はキョンみたいに小難しい喋り方を無理にしようとしたり、理由なく集まる部室という存在が欲しかった、そこにハルヒがいないことがわかっていてもそう考えられずにはいられなかった。この満たされない日常から脱出したかったんだ。

「ないんだったら、自分で作ればいいのよ!」

ハルヒSOS団を作ったが僕らは何も作らなかった。キョンになりたい僕等に行動力なんてないし、そんな部活を作ってくれる学校はあまりないだろう。そうして高校を卒業し大学も卒業し社会人になってしまった僕は部活から限りなく遠い存在になってしまったわけだ。

それでも学園を舞台にしたアニメは日々生み出され、その大半がおかしな部活を中心にして物語が展開されていくアニメだと思う。
どれも似通っているが他の作品とどこか違うと感じたのは俺ガイルこと「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている」だ。

この作品のどこに他との違いを感じたかと言うと、主人公が視聴者に与える影響だ。
キョンを初めとする多くの学園アニメのほとんどは、視聴者は主人公のことを羨ましがる。自分もあんな学園生活を送りたい、こんな悩みを抱えたりワクワクする非日常を送って見たいと感じるのだ。
だけど俺ガイルの主人公である比企谷八幡は違った。羨ましがり自分もこうなりたいと思うのではなく、自分こそが八幡であり同じ悩みを抱えているのだと思うのだ。

俺ガイルは人間関係や学校の行事など学校で誰しもが感じる悩みや難しさをテーマにしている。スクールカーストやクラスのグループだとかそんな悩みは大人になってしまえば変なものだったと振り返るが学生にとってそれが全てで世界だと言っても良い。
クラスの目立つ奴らだけが日々を楽しんで我が物顔で学校を歩く、そんなどこか納得できなく悔しい悩みを比企谷八幡の視点として描くことで、作品を読む学生は八幡に痛いほど共感するのだ。

学生時代の世界なんてちっぽけで卒業したらどうでも良くなる。だけど学生時代にそんなことはわからない、だから大人が描く八幡の考えに共感するのだ。

僕等がかつて憧れなりたかった主人公に今の学生は自分と同じだと共感することで作品に魅了されている。憧れだけじゃ視聴者・読者の世界を変えられない時代になったのかもしれない。