A jewel in a dunghill

雑念の地下シェルター

もやしもん

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肉眼で菌を見ることができる少年、それが「もやしもん」の主人公の沢木直保だ。
彼が東京の農大に入学したことで物語は始まるが、話が進むにつれて沢木が菌を見ることができるということよりも話ごとのテーマが作品の魅力になっているように思える。樹ゼミという居場所があり、そこにいる同級生や先輩、大学の知り合いなど限られた登場人物の中で沢木は毎回知らないことにぶち当たっていく。

 

しょうもないことから生産者の抱える問題まで、農大という枠組みに収まりきらない問題に沢木は取り組んでいく。
作品に度々登場してくるのが大学のイベントであり、祭と呼んでもいいそれらのイベントの中で沢木とゼミの皆は自分なりの解決方法を導きだしていく。
彼らの周りには問題の答えを知っている大人はいるのだろう。だけど彼らは自らの方法で答えを導き出そうとする。

大人は多くのことを知っている。だけどそれは全てが正しいわけではなく、大人であるからこそ答えを出すことを諦め自らを偽った結論もある。
彼らは若く、時間があり、大人には導きだせない答えにたどり着くこともできる。
自分とは何であり、大人とは何なのかなど大学生という親の保護下にありながら大人という身分を一応持っている彼らだからその悩みに突き当たる。
沢木は転機というものを大学生活のどこかに期待していた。学生の間に大人になるのか、社会にでてから大人になるのか、そもそも大人とは何なのか。
そんな沢木に対し先輩の一人が「転機とは偉くなった人が自分を振り返った時に使う後付であり、実は毎日は繋がっていていきなり変わったりはしない」と言う。
 
人はきっと変わっていく存在であり、5年前の自分と今の自分は同じではないはずだ。
世間一般の大人と呼ばれる存在の人々は変わらないのかもしれないが、学生である沢木は少しずつ変化している。
毎日が繋がっているからこそ少しずつ変化していき、そうだからこそ本人でさえ変化には気付かない。
今の自分とは紛れもなく存在するものであり、過去の自分と何処が変わっているのかなんてわからない。急に変わったりしないのだから。
だから大人なんてものは自分でそうそう理解できるものではない。
自分にとって年上の人は大人に見え、年下の人は子供に見えるかもしれない。
だけど自分より年上だから大人なのかというとそうではない。何らかの理由付けされて結局は子供扱いされる。
大人になることは難しく、大人になる条件なんて存在しない。
だからこそ悩み苦しみ、幾度も壁にぶつかることで大人になるというよりは変わっていくのだろう。 
その変化は目には見えないかもしれないが、場合によっては大人だと捉えられるのかもしれない。