A jewel in a dunghill

雑念の地下シェルター

電波女と青春男

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自分の意思で動いて他人も動かす、星宮社はこれを最も初歩な人間に許された超能力だと言った。
いわゆる普通の高校生であり主人公である丹羽真にとって超能力などありもしない妄言であり、自身を宇宙人だと主張する藤和エリオも思い込みが激しく自己を守るための言い訳でしかないと思っていた。
自転車で空を飛べなかったことで布団をかぶり現実を見なくなったエリオに対し、1人ではなく一緒に空を飛ぶことに失敗したことで真はエリオが宇宙人ではなく地球人であることを証明させた。元の人間に戻るためのきっかけを与えたと言ってもいい。
宇宙人など存在しなく、1人の少女として布団をはずさせることに真は成功したのだ。
しかし彼を取り巻く状況は変な人を呼び寄せ、次にやってきた人物こそが星宮社という自称超能力者の少女だった。   

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仕事のために街に来たという言動もおかしな少女は、真が流子を応援するために行ったバスケの練習試合時で1つの動きを見せた。

人は誰しも目前の超能力に目覚めようと歩みよっていて、それは日常の延長線上にある。社の言う超能力とはスプーンを曲げたり物を浮かせたりすることではなかった。誰だって才能は欲しい。非凡であることを嫌い自分の取り柄を探して必死にもがいていく。流子は運動ができるわけでもないし、練習試合でも体が硬くなって上手く動くことすらできていない。

練習試合を見に来ていた花沢は、自分の才能が周りの者にありもしない期待をさせてしまっていることを感じていた。才能を持つがゆえに自分には見えている答えが他人には見えていなく、期待だけされ最後には落胆していくことに悩んでいた。
流子に運動の才能はないかもしれない。だが社の言う超能力とはここにおいては発揮することができ、それは誰でもない真だからこそ行使できる力だった。
「応援」という自分の後悔からの思い・意志を言葉にして送ることで流子が動き出すことを可能にさせた。

 

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超能力という力が出てくる作品の多くは、超能力とは才能ある限られた人間が持っている力の象徴として描かれる。
だけど自分の気持ちとそれを伝える相手さえいれば誰にだって超能力は使える。それがどんなに些細なことであっても人を動かした時点でそれは超能力に違いない。